お世話になります。今日は私は宅地建物取引士になるまでの道のりを振り返ってみたいと思います。
元々の私の職業は整形外科などで働くリハビリの助手でした。
たまたまパートで通っていた整骨院でマッサージを覚え、その後地元の整形外科でマッサージなどの
リハビリを長年やってきました。
マッサージもはじめの頃はとても指は痛くつらい事もありましたが、覚えていくうちに面白いように
上達し、目を閉じても施術できるようになりました。
その頃よく座頭市を思い出し、目の不自由な方でも技術を身に着けることができるすばらしい職業なのだと思ったものです。
私の仕事はあくまでも助手…なぜなら資格がないからです。私の場合、柔道整復師会のような国家資格はむろん、整体師のような民間の資格もも持っていませんでした。
何が言いたいのか…?そう、お給料が上がらないのです。
どんなにマッサージが上手でも、患者さんに褒められてもお給料に反映されることはありませんでした。
そこで、思った事
今の世の中、資格なんだな…と…
ですが、小学生の子供2人抱え今から3年間の学生生活というのも現実的ではない事でした。
色々資格の事を調べたあげく、たどり着いたのは「宅建」だったのです。
学校に行く必要がない、高卒以上で日本国籍があれば誰でも受験資格があるといった理由です。
受験費用も年1回7000円と安かった。
それから、テキストと過去問など買いあさり勉強をはじめます。
当時40歳でしたので高校を卒業してから28年たってからの受験勉強…思っている程簡単なものではありません。
1年目の試験は27点と合格ラインの土俵にも乗らない点数で終わりました。
宅建試験は落とすための試験です。その罠に簡単にはまってしまう。
2年目は30点とこれまたあっけなく終わりました。
もう私には無理なのかな~なんて思いながらもマッサージの仕事のすきま時間や帰宅後2時間を週5日
続けた結果3年目は34点…この年やっとボーダーラインまで乗ることができました。
宅建試験は10月の第3日曜に全国一斉に行われ、合格発表は11月の末日か12月の初旬です。
この約2ヶ月のあいだ各予備校が合格ラインを予想します。
この年のボーダーは34点と35点に絞られてきていました。
私は34点組だったのでこの期間の思い出といえば寝てもさめても予備校の予想一覧の新着情報に首ったけの日々…
その頃の日記帳を見返すと絶対合格…!!と毎日記してあります(笑)
どうだったと思います?
平成28年の宅建試験の合格点は35点!!
なんとまあ私は1点足らずで散ってしまったのです。
その日の日記は画像をごらんください。この14代というのは高級な日本酒です( ;∀;)
もうやめよう、やってられるか、くそやろう、消えたい、など、まさにネガティブ語のオンパレード。
ただ、ここまで3年がんばってきたんです。つもりかもしれませんが…
5月のGWが終わる頃からまたこつこつ生活を始めたのです。
そして4回目の本番がの終わった瞬間、私は決めたのです。
答え合わせはしない…と
それをしたおかげでつまらない2ヶ月を過ごしてしまうのだから…
その年、平成29年の宅建合格点は…35点
さて私の結果、この年4度目の受験で合格しました。
自分の合格を確認してからゆっくり答え合わせをしてみたら…なんと37点
この瞬間、空ってこんなに青いのね~と深呼吸したのを今でも忘れてません。
今はこうやって宅建業を営んでおりますが、それまで簡単ではなかったのです。
ですからこの資格をいただいて、お仕事をさせてもらってますので大事に大事に
汚さぬよう、誠意をもった対応ができるのですよ(*^_^*)